「しみじみと感謝で過ごす還暦+1」 

 自分の人生を振り返ってみて、ほんとに多くの人に支えていただいた。数え切れない恩 人がいる。今日、61才の誕生日を迎えて、それらの人々とのことを思っている。
 とりわけ今日、深い思いを誘う人のことを伝えたい。
 11月7日に亡くなられた、私と同い年の梅田徹さんのことだ。私の主治医で、命の恩 人である。全幅の信頼を寄せていた。ただ単なる医者と患者の関係を超えた付き合いをさ せていただいた。奥様の奈加子さんは画家で、海文堂ギャラリーで3度の個展をお願いし、 (公)亀井純子文化基金、アート・エイド・神戸の監査役など、頼めばご夫婦して何でも 協力していただいた。
 闘病されていた東京に、お見舞いに上がる日に新幹線に電話があり、具合いが悪いこと を知らされて、とうとう会えずじまいになったことが悔やまれる。
 急なことで葬儀に家内しか列席出来なかったが、彼女は何度も大泣きしていた。 梅田さんが、自らの最後を悟って書き残した「惜別の辞」がまた涙を誘った。
 その一部を紹介する。
「少し早いですが皆様とお別れをする日も近いかと思われます。返りみれば60年あっと いう間の夢のような出来事でした。(略)夢の60年と申し上げましたが3、4才で肋膜炎 のために入退院を繰り返し、9才で足の関節結核にかかるなど小児期は病弱な生活でした。 中、高と曲がりなりにも通学できるようになり幸い医学部にも行くことができました。 それまでに多くの人の助けがありました。(略)
こうして無我夢中で生きてきた60年ですがハンディキャップのもかかわらず私としては 精一杯してきたつもりで悔いはありません。
するべきことはした、見るべきものは見た、そういう心境です。本当に皆様私のようなも のを陰に日向にお心に掛けていただいて感謝のしようがありません。(略)」最後に「残さ れる奈加子をよろしく」と続く。
私にとっての恩人がまた一人去っていく。