- Inner Blue 【H56.2/W29/D26(cm)】
- 「骨の耳」
私の重松あゆみ論
私は重松作品と日常的に親しい。理由はあとから付いてくるもので、ようは感覚的に親近感があるのが第一である。そして、重松さんの言葉によって納得するのだけど、決してその逆ではない。それは例えば[不快感のある快感]という言葉で象徴されるものだけど、その形態的な違和感や、視覚的なエロス、色彩的な不快感、触覚的な粘着感のバランスが私にはとても心地良いのである。
それは室内空間において、作品が発する重松さんの感じる自然の音であり、風であり、温度を、私も感じるということだ。もちろん、私自身が感覚を研ぎ澄まさなければ「そこにそうして存在している」ことすら意識できないし、まして作品は饒舌に喋ったりは一切しない。
私たちは自足しようとする日常、自足しようとする空間に「気がかりな物体」を持ち込むことにより「抜け出す」「広がる」「ゆらぐ」などの感覚に誘われる。これ以上言葉で説明すると論理の誘導になるのでやめるが、そのことを誘惑する魅力的な物体であることは確かなことである。【島田 誠】
『骨の耳』で感じてほしい
「骨の耳」
土の持つ味わいや情緒性よりも造形に重点を置くため、セラミックアーチストと呼ぶのが正しいのかもしれない。その作品の質感は木彫のオブジェのようでもあるが、制作作業は縄文式の土器と同様に、手捻りで積み上げられていく。その上に色化粧といって、顔料を入れた泥を丹念に刷毛で塗りながら微妙な色合いを出していく。釉薬は使わない。その後、乾燥する前に石で磨いて表面をつぶし、質感が変わらないように低温で焼く。石で表面を磨くのは、古代中国や中南米のインディアンも用いている方法である。
「今使っている石は、紀伊半島の太平洋に面した海岸で集めてきたものです。使えそうな石を二百個ぐらい見つけたんですが、実際使えるのはほんの数個。使われて『道具』になった石は私の宝物なんですよ」
そうして出来た作品に「骨の耳」と名付けるようになってから五年が経つ。
「目や耳といった五感を超えた部分、私は『骨の耳』と呼んでいるのですが、見る人の本能的な部分でいろんなとらえ方をしてほしいな、と思っています」
文化的にニュートラルな街・神戸
大学時代を除いては、ほとんど神戸暮らし。現在も神戸で制作活動を続ける。
「神戸は伝統や因習に縛られることもなく、文化的にニュートラルな街だと思います。『神戸』という形がない分、楽に表現できるんです。反面、得られるものも少ないんですけど。大阪の活気や京都の伝統とも違う『神戸』らしさのために、私たち若手がいろいろと活動しなきゃいけないんでしょうね」
神戸C情報より抜粋
不快感のある快感
重松あゆみの「陶」の作品はどこか「きのこ」に似てないか?時に奇怪、時にエロティック、時にユーモア。不思議な色彩、どこにも在りそうにない形。
ぬめるようでいて乾いている。[不快感のある快感]がなんとも気になる。その形態的な違和感や、視覚的なエロス、色彩的な不快感、触覚的な粘着感のバランスが私にはとても心地良いのである。この感覚は「きのこ」愛好家には分かってもらえるのではないか。 ご覧の掲載作品は「骨の耳」というシリーズである。骨に耳はあるのか?
重松さんは、このタイトルについて、こう言っている。
「頭の真上を大きな鳥が飛んでいくとき、関節のきしむカコカコという音が空気の振動とともに私の骨の中に伝わってくる。そん骨が耳をすませる一瞬は、テレビの画面で鳥が飛んでいるのを見るのと全く違った感覚である。見ること聞くことが、頭の中で情報として分類され、処理されていく日常は味気ない。物や情報が満ちあふれ、それを追いかける複雑な現代生活の中には,時として生きていることのリアリティーがない。
私の作品は“何かである“という確かな意味を持たない」
大切なことは見る、聞くといった五感を超えた本能を揺さぶることだ思う。技法については後から紹介するが、「土」をこね「土」で考える。「石」を拾い「石」で磨く。「骨」を感じ「骨」で聴く。重松さんは、根源的なものを見つめ感じ、創る。「何かであるという確かな意味を持たない」ものは、私たち自身が感覚を研ぎ澄まさなければ「そこにそうして存在している」ことすら意識できないし、まして作品は饒舌に喋ったりは一切しない。
自足しようとする日常、自足しようとする空間に「気がかりな物体」を持ち込むことにより「抜け出す」「広がる」「ゆらぐ」などの感覚に誘われる。そのことを誘惑する魅力的な物体であることは確かなことである。
この焼き物とも木彫とも化学製品とも見え、どれでもない物体は何者なのか。制作作業は縄文式の土器と同様に、手捻りで積み上げられていく。その上に色化粧といって、顔料を入れた泥を丹念に刷毛で塗りながら微妙な色合いを出していく。釉薬は使わない。その後、乾燥する前に石で磨いて表面をつぶし、質感が変わらないように低温(950℃)で焼く。石で表面を磨くのは、古代中国や中南米のインディアンも用いている方法である。
かくして、きのこの不思議な世界にはまっている諸君には重松あゆみの作品が発するものはすべて親しいものなのです。是非、ご覧あれ。
(雑誌「きのこ」第4号 2006年9月)
《プロフィール》
1958年大阪府豊中市生まれ。 ’83年京都市立芸術大学大学院美術研究科陶磁器専攻修了。
’84年朝日現代クラフト展優秀賞。
’89年国際陶磁器フェスティバル’89美濃・審査員特別賞。
’90、’92兵庫の美術家(県立近代美術館)。
’92「陶芸の現在性」展(神戸・池袋西武)。
”93現代の陶芸1950~1990(愛知県美術館)。
重松作品がポスター、チラシ、図録の表紙を飾る
海文堂ギャラリー個展
’95クレイワーク(国立国際美術館)。
海文堂ギャラリー個展
神戸キワニスクラブ文化奨励賞
1996年11月、神戸市文化奨励賞。
1998年 第10回倫雅美術奨励賞。
海文堂ギャラリー個展
ギャラリー島田個展
2001年 5月26日(土)~6月7日(木)
2006年9月30日(土)~10月11日(水)
http://www.gallery-shimada.com/01/schedule/exhibition/shigematsu_0610.html
最近のギャラリー島田での個展記録
2008年9月20日(土)~10月1日(水) 重松あゆみ展