出会いと初個展
1989年6月頃に初めてお話しした。その時、持参された作品資料に「写 真で見ただけでは判断できないから、今度は小品でもいいからタブローを2~3点持ってきて下さい」と伝えたらしい。 そのことは私に記憶がないけど、当時の井上さんの手紙で知った。元町3丁目の海文堂書店の2階にあった海文堂ギヤラ リーだった。私は、その頃、原因不明の体調不良に陥っていて、検査の結果、脳脊髄鞘腫という難病であることが判明、 手術のため7月中旬から約1ヶ月入院した。幸い、手術は成功して、今がある。
私の言葉とおりに8月上旬に作品を抱えて不在の画廊に来られたそうだ。しかし、父上の病気や小さ な子供を抱えて、ままならぬ日々を過ごし、結局、資料をもって再訪されたのは12月になって いた。京都芸大の院生時代の作品から、すでにアンドリュー・ワイエスを思わせる気品のある描写力と遠くを夢見るよう な余韻のある画面に十分な才能を感じた。そして井上よう子にとって画廊企画では初めての個展でもあり、時間のかかる 丁寧な作画を考えて2年後の個展 を約束したのです。1991年7月3日―19日のことです。
「井上よう子――リリシズムを描く」
(2012年、ギャラリー島田刊行 画集「The way in the Blue」まえがきより)
DMの作品は「7月の記念日」50P
井上よう子の作品は喧騒と過剰な轟音に囲まれた現代社会とは無縁である。その風景はリリシズムに溢 れ、眩しすぎる陽光と透明な空気。でも彼女はどういう風にしてこの明るい静けさを得たのだろう。これは単なる懐かし い情景ではない。深く傷つくことを知った人、深く愛する孤独を知った人が流れゆく時を瞬時に切り取ってみせる“永遠 の断片”なのだ。この個展が彼女の画家としての「出航(たびだち)」を飾るものであると固く信じている。
個展に寄せた私の文です。
その後、井上よう子展を‘93、’95、‘97、2002、’‘05、’08、‘10と重ねてきた。
言葉とおり20年という長い航海を経て、画家として成長してきた証がこの画 集です。
青=ブルーへの拘り
作品の根底にある二つの特徴は、青=ブルーへの拘りと、どこ にも緩みのない凜とした完成度である。
井上よう子の青への愛着は幼少の 頃からであり、皆の好むピンクや赤ではなく青を好み、身辺に至るまで青に拘る。青といっても様々である。豊かな諧調 に彩られた海、季節折々の天空、川や湖、艶やかな花々。私たちが自然とともに在るなかで、最も親しんできた色であ り、それらを再現することに人々は古来から挑んできた。アフガニスタンで出土するラピスラズリ(瑠璃石、あるいは青 金石)やアズライト(藍銅鉱=らんどうこう)が貴重なものとして西アジアを経てヨーロッパへもたらされたため名前は海(marine)を越えて きた(ultra-)という意味でウルトラマリンと呼ばれ、インドの熱帯林で 育った木藍はヨーロッパでインディゴ・ブルー(印度藍)と呼ばれ、貴重なものとされた。
青は実にニュアンスに富み、言葉 も多彩に紡ぎだされてきた。青、蒼、碧、滄、藍、瑠璃、紺、群青、縹 (はなだ)、青黛(せいたい)、浅葱(あさぎ)、水色、空色。更にそれらが組合わされ紺碧、茄子紺、浅縹など微細な 諧調を表す言葉の変奏を生んでいる。
青には、こうして惹きつけてやまない魔力があり、井上よう子 は、青が喚起する無限のイリュージョンに全てを賭ける。音楽にたとえればハンマーがピアノ線を叩く音色であらゆる表 現を可能にするピアノに当たるのが井上のブルーであり、そこに主題(メロディー)を与え、リズムやハーモニーが生ま れ、世界が構成される。
繊細極まりない音色(色彩)を求めて純粋なブルーを混色する ことなく、丹念に透明感を失わないように塗り重ね、ウォッシュし、また重ね、ペーパーでこすり出し、またドリッピン グしたりを繰り返して、自分のイメージする空間を創る。そこに主題としての止まった刻を表す様々な細密なモチーフが 現れ、風や光が加えられていく。そのブルーも30代までの淡く儚げなブルーから、1995年の震災 や、恩師、三尾公三氏の死などを身近に体験し、紺青と呼べるほど深くなり、デンマークの風光に触れ、青が内に秘 めた透明感が耀きはじめるなどの変遷が見られるが、作品毎にも主題に沿った青が丹念に追求されている。
青を基調音として奏でられる主題は、人の気配、記憶、静寂、 夢と現との間、オマージュ、畏敬、慰撫などが椅子、花束、植物、果物、看板、旗、ワイングラス、風車、自転車などで 暗示され、それらは海、空、道、鳥などに拡がり、奥行きを与えられ、光と風を含み、見る者の体験や感性と共鳴し、そ れぞれの物語を紡ぎだす。
根源にあるもの
最初 に作品に出会った時からその静謐さに打たれた。そしてそこに、何かしら悲痛なものが孕まれていることに気がついた。 まだ、井上が囚われていた姉の自死と、それに関わる贖罪の意識を知らぬ間に。そして1987年に母、 2000年に師、三尾公三が逝き、多くの親しい人々を失う。作品の根源にあるのものは、そうした「不在」の感覚 であり、哀しみを含んだオマージュである。通奏低音として小さいがゆえに一層痛切な調べが聴こえ、見る者は勿 論、画家自身をも癒している。
命 あるものは必ず逝く。その哀切を抱きながら人は生きる。しかし、また命は形を変えて再生する。作品に漂う「不在」の 気配は、自らの慰藉を超えてやがて、存在への感謝へと転化されてゆく。生の儚さは、存在が細かな偶然が降り積もり柔らかに包んでくれた恩寵であることと共にある。私たちが直面した二つ の大震災がそれを著実に表している。
2002年の「天国に近い場所~and he has gone」を契機にして、井上は、若き日の「For・・・From・・・」から、新しく「The way to Bright Ocean」などの世界へ自らの体験を超え、靄(もや)の中から抽出された「道=希望」を見つめている。
井上よう子の作品は、隅々まで構成され、緩みも遊びもなくど れもが完成されている。それは師、三尾公三の厳しい教えによるという。
三尾が「完成度、インパクト、発想の斬新性、格調」の四つの教えを紙片に書いたものを、今もアトリ エの壁に貼っている。そして、作家とし大成するためには「才能と努力と運」の3つが必要だ と…、
その教えを心の底まで刻印して歩んだ努力の道が運をも運んで くる。
2004年に前田寛 治大賞展に推薦されて佳作賞、2005年にギャラ リー 島田での個 展が縁で代表作ともいえる㈱シスメックス・ソリューションセンターの壁画「海・光・風」(3m×92cm)を手が け、2008年には第一線で活躍する女性画家に送られる亀高 文子記念――赤艸社賞.を受賞、企業や病院のアート・プロジェクト、ホスピタ ル・アートなどにもたびたび選ばれてきた。
それらの果実は、多くの体験を豊 かな創造の大地としながら実らせてきたものである。しかし、世界は不条理に満ち、大地は荒涼とし、心は漂流して 行方を失っている。私たちは、その現在とどう向かい合うかをそれぞれに問われているのだ。創作とは芸術に携わる ものの回答に他ならない。井上よう子は「The way」を静かに、しかし確として歩み始めた。
島田誠
ギャラリー島田 個展歴
2002年7月20日(土)〜29日(月)~The lost time in Blue~
2005年6月28日(火) – 7月7日(木) ~ Transient ~
2007年7月7日(土)18日(水)Yuko Takada Keller&井上よう子展
2008年9月20日(土)〜10月1日(水)-17年の記憶-
2010年9月4日(土) 〜15日(水)-transient time-
2012年6月16日(土)27日(水)-ともにある孤独・希望の光-
2013年10月19日(土)〜30日(水)自選展
2014年7月12日(土) – 7月23日(水)予定
井上よう子HP http://yoko-scene.com/