藤崎 孝敏 略歴
fujisaki

1955 熊本県に生まれる
27才の時初めて絵筆を握り
独学で油絵を描きはじめる
1986 第1回個展
以降毎年銀座にて個展
1987 渡欧
以降ヨーロッパを放浪しながら制作
1993 アートミュージアム銀座において
新・旧代表作70余点を集めた展覧会開催
画集刊行
1994 海文堂ギャラリー(神戸)にて
個展以降毎年神戸にて個展
1996 大作(約6m×3m)の制作を日本で行う
現在 パリのアトリエにて制作を続ける。
作品収蔵 福岡市立美術館 (西本コレクション)
信濃デッサン館 等
2002 東急文化財
メインギャラリーにて個展
詩画集(刈り取られた慈しみ)を出版
東藤崎孝敏作品集
´93.10 画集「CAUVINE」(絶版)¥5,000
´02 詩画集「刈り取られた慈しみ」審美社

確かに画面全体からの第一印象として、藤崎孝敏の油彩は、やや古風に映るかもしれない。しかしじっとその前に佇んでいると、今現在、パリの異空間に身を晒して生きる画家の烈しい息づかいが、こちらになまなましく伝わってくる。茶褐色の暗い画面が一見、ほっと安堵させる。だが実は、画家の内面を観るものの内面に同化させてしまう内発力の伴ったデモニッシュな作品なのである。 藤崎孝敏の油彩を特徴づけるのは、沈黙を破って展開し、また深い沈黙に還る闇と光の相克だ。奔放なタッチで描かれるその人物画、風景画、静物画は、闇から生まれる光の情動のように思われる。闇は画家の炎える内面そのものであり、そこから沈黙を破って、光を求めて外部へ向かおうとする形象こそ、藤崎孝敏の油彩世界といってよいだろう。
藤崎孝敏の画面空間には、ことばにならないことがば隠され、うごめいている。私はそれを゛魂の彷徨゛と呼びたい。
ワシオトシヒコ「存在の本質に迫る光と闇」
(画集CAUVINEより抜粋)

藤崎氏作品01
「唄う人」30M
闇が闇のままで発光
藤崎孝敏展 崩壊の中に希望
心配されていたとおりついに自殺を選んでしまった哲学者ジル・ドゥルーズの考えに従うと、ヨーロッパの文化がとりわけ重大視してきた人間の「主体」というのは、生命というすさまじい欲望機構のわずかな?余り物?(余剰生産物)にしか過ぎない。けだし二十世紀というのは私たちの「主体」性が限りなく崩れていく百年だった。だがゆくえ知れない崩壊の洪水に流されながら、それでも「私はここで流れている」と最高の声で歌い続けている人がいる。藤崎孝敏氏がパリで描いている群像たちだ。
老いた男がまるで酔いしれるように歌ってる作品「唄う人」。兵庫の美術ファンなら、故鴨居玲の「酔って候」などあれら
行き場のない男たちの哀(かな)しい表情が重なるはずだ。ゆっくりとしかし着実に壊れていく男たち…。だが鴨居の肖像たちが最後の希望を捨て切れずに、救いを求めながら滑り落ちていったのとは反対に、藤崎氏の人物たちは、男も女も、滑り落ちながらそれでも精いっぱいの美声で歌い続けているのである。
無論その老いた男は熟知している。自分の「主体」なぞ、たとえ彼自身にはかけがえのない意味を持ったにせよ、世界にとってはいかほどの重量もなかったことを。だがだからこそ、彼は今そんなにも歌えるのだ。なんと楽しげに歌われる崩壊の歌。むしろ歌が彼を歌っている。
闇(やみ)が闇のままで発光を始めているような、不可思議な希望の歌…。
「ドストエフスキー的真実の現れ」(島田誠氏)と呼ぶ人もいるのだが。
一九五五年熊本県生まれ。「放浪癖があって」(藤崎氏)東京で職を転々。二十八歳ごろから絵を描き始めたが、たちまち評価を得たことで逆に「これはおかしい」と八七年渡仏。モンマルトルで制作を続けている。毎年秋に神戸で個展。
「このままパリで定住しそうなのがまた不安」。ドストエフスキーとチェーホフを愛読し、そして、この二作家以外は読まない。

神戸新聞(1999.10.10)
山本忠勝評より

藤崎孝敏の無言の意味をつかもうとする者だけには、そのシンフォニーは光を伴って正確に聴き取れるだろう。かれが無言で訴えようとしたものはそういう光の曲調だった。
私はいつも不思議に思うのだが、人はどうしてかれの絵に暗さだけを見るのだろうか。「暗い絵だ」と見てしまう人は、真の光を知らされたことのない不幸な人だ。印象派の画家たちの描く風景画の光線にだけ光を見て、闇から湧き立ってくる光を発見できない人は、宇宙の意味に疎い人という他あるまい。
松永伍一「闇から滲み出る光」(画集CAUVINEより抜粋)

何処までも暗い画面に浮かび上がる貧しい人々や悲痛で過酷運命を背負い、放心し、何かに憑かれたような表情。
ひりひりと心が痛み、触っただけで血が吹き出すような画肌。何気なくおかれた部屋の隅の酒瓶や香水瓶にすら、ただならぬ画家の魂のありように見える凄さ。そして哀しみに満ちた人々の中に聖なる永遠性が宿る。
身の置き所のない日本の画壇を捨ててパリ・ピガール界隈にアトリエを構え、下町の人々と交流し、自らの創造主のみを信じて暮らす。
彼の絵は、そのような中でしか描きようがなく、そしてそのように生きることは至難なのである。
その生き方、考え方、そして制作のすべてにおいて謎めき、ドストエフスキー的真実とアルバンベルグ的現代性を合わせもつ。
こうした魅力ある画家がまだ存在していた稀有を驚きまた喜びたい。
島田誠”99個展 案内状より

藤崎氏作品02
「裸婦」60M
俺はローラの歌を聴く
ローラはいつもウィと云わずにノンと云ってしまう
彼女は いつも怒っている
彼女は インディゴの色を歌う
黄昏の彩色はシネマドグラフィのこまひとつとなり
パスカルは 実らぬ想いに身をやつし
サシャは 遠い異国の夢をひなが追い続け
マックスは 再び 錯乱の淵へ舞戻り
動かぬ空気よ 語らぬ指よ
生活で語るということは哀しいことだ
赤毛のイザベルは痛めた脊髄を哄笑と共に運び
クロードは暮しをアルコールに浸し 喉の渇きに耐える
俺はと云えば
干涸びた舗道の影溜りとなり
側らの日常は カフェの奥隅で
夢また夢にまどろみこむ
’99 -CAUVINE-

黄昏よ 僕は再び見つけた
喜びよ 悲哀よ
お前らが私の描く指にまとわりついてゆく
舗道を 染めゆく夜 また夜よ
お前の孕んだ朝が生み落とされる前に
私を探し出すがよい
いたわりと嘲りの哄笑が
金となり 飛沫となり カフェのテラスに立ち上がる前に
私の名を思い出すがよい
石畳の溝を流れゆく昨日の
干涸らびた営みが私の足を濡らす前に
私は再び見つけたのだ
黄昏よ 黄金の悲しみよ
-CAUVINE-

●藤崎孝敏の魔性
底知れない闇の中からかすかに仄(ほの)見える光。
明日なき人々が一縷(いちる)につなぐ命。
猥雑なパリの街ピガールの15年来の住人として彼らの友として生き、彼らをモデルとした藤崎孝敏の抗い難い魔性の魅力は、この街の魔性と重なる。
多くの日本人の画家がパリの魅力に取り憑かれ、ここに住み、ここで描いたが、氏のようにピガールの住民そのものとして暮し、彼らと心を通わせて描いた画家はいない。
氏の絵が、ぼくらの心を深く動かして止まないのは、人間存在の真実を見るからにほかならない。そのような絵を真っ直ぐに描く画家は稀有なのである。

島田誠
2001年10/29~11/9ギャラリー島田1周年記念 藤崎孝敏展 案内状より

●残酷な視線、熱い愛 藤崎孝敏展 パリの貧困描く
絵の題は「裸体」。おそろしく直接的な言い方だ。少々悪魔的である。せめて?裸婦?とでもあれば、言葉の透明なベールがこの女性の最後の品位を守ってくれもしたろうに…。そして題から量れる通り、画家の視線はずいぶんきつい。成熟の極みを越えた肉体を遠慮なくゆるみかけた体刑に描き出す。だが画家はなんと狂おしくこの体を愛していることか!藤崎孝敏氏は残酷で、熱い。
パリのピガールといえばわい雑なかいわいとして有名だが、画家は好んでそこに住む。
貧困につぶれそうな人々をしつように描いている。絵の女たちはたぶん、大半が娼(しょう)婦である。感傷は一切ない。あるのは、ここまで生き延びてきて、今ここで生きている肉体の、あまりにもなまなましい量感と体臭と熱である。ほとんど「肉塊」といってもいい。
だがむろん、肉塊だけならこんなに心を打つことはない。「背を向ける娼婦」という小さな小品はなかでも佳品だ。女は今?仕事?を終えて、身じまいを始めている。やせた背中にはこの一夜の金で保証される明日への安堵(ど)そして恐らくは彼女の子供、彼女の夫への思いさえ透け見える。裸体が今、裸の女に帰り、人間に帰っていく。重荷を再び背負い直して。
神戸と東京で年に一回ずつ作品を発表する。だが日本の平穏な空気にはもうなじめないようである。明日がないかもしれない人々の中でこそ感じる霊感。アウトサイダー同士の共感。そこにあるのはやはり愛か?

山本忠勝
2001年(平成13年)11月7日(水)神戸新聞より

●-冷静なまなざしで精神の?渇き?描く 神戸で藤崎孝敏展-
現代人の体の中にまだ精神が生きる場所はあるのだろうか?「無い」と言ってしまえば恐らく、肉体の闇(やみ)の奥でまだ未練げにゴソゴソ動くものがある。だが逆に「有る」と言い切ると、今度はもぬけのカラがあらわになってくるかもしれない。藤崎孝敏氏が描き続ける男や女、そこには肉体から追われていく精神の絶望とあきらめと、それでも捨て切れないわずかばかりの希望がある。
四十五歳。パリの歓楽街のピガールに住む。本人に確かめてもごまかすだろうが、異常にモテる男のようだ。微妙な哀愁が目で揺れる。そして多分、モテる男が心にときおり潜めている世界への残酷なまなざしを彼も持つ。
描かれるのは酔いどれやホームレスや素性の定かでない女たち。しかもこの画家は多分、紋切り型の安易なヒューマニズムを軽べつしている。同情はない。肉体の奥で精神が乾いていくそのさまを冷徹に見つめ、えぐり出す。タブーの多い日本ではできない仕事だ。
「横たわる男」という大きな裸像の作品。路上で瀕(ひん)死の状態にあるのかもしれないし、死んだ直後かもしれない。残酷なのは、その若い男が肉体を享楽し尽くしてもいないし、精神を成熟させてもいないことだ。肉体も精神も中途半端なまま、そこで突然終わっている。
そう、同情はかけらもない。だが同じ場所にいる者の間の強烈な共感がある。
突然の終焉(えん)。その直前まで若い男が孤独に握り締めていただろうわずかな希望、握っていざるを得なかった精神の燃え残りへの、もはや役に立たない、焼けるような共感が。

山本忠勝
2000年(平成12年)11月8日(水)神戸新聞より

●-迫る 人間の切なさ-
=藤崎孝敏展=
パリの裏町にたたずむしがない男女の姿、憂いを宿した目を持つ労働者など藤崎が描く人間はどこか寂しげで切なさにうちひしがれたような雰囲気を漂わせている。
激情と、春雨に震える子犬のような繊細さを併せ持ったように見えるこの画家がパリのモンマルトルに移り住んで10年。画家の内側からほとばしり出る欲求を、油彩ならではの質感や陰影表現に完全に定着させたといえるだろう。
1955年熊本生まれ。87年に渡仏し、独学で絵を志す。細面の端正な顔立ちに鋭すぎる目、寡黙……。気難しくて近寄り難い印象を与えるが、「私のアトリエには名もない画家やホームレスが勝手に入って来ては絵の批評をして帰っていく。彼らは純粋だ」と語る表情には懸命に生きる人への優しさがあふれていた。
「描くのは、自分の内面を吐き出すため。だから、イメージが消えないように1枚を4,5時間で一気に仕上げます」という。赤や紺青に独特の色遣いを見せるが色彩も毎年微妙に変化しており今後の活躍が期待される。

有本 忠浩
1997年(平成9年)11月6日(木)毎日新聞(夕刊)より

■藤崎孝敏オフィシャルサイトを開設しました。 http://cauvine.com/

最近のギャラリー島田での個展記録
2001年度10月29日(月)~11月9日(金) 藤崎 孝敏展
2003年度 10月25日(土)~11月9日(日) 藤崎 孝敏 展 ―暁闇―
2004年 12月9日(木)~12月19日(日) 藤崎 孝敏 展
2006年 3月4日(土)~3月15日(水) 藤崎孝敏展「ふたたびの今」
2007年 6月9日(土)~6月20日(火) 藤崎孝敏展「いたわりの鏡」
2008年 4月19日(土)~4月30日(水) 藤崎孝敏展「Semuy 私の住む田舎
2009年 3月7日(土)~3月18日(水) 藤崎孝敏個展
2010年 2月6日(土)~2月17日(水) 藤崎孝敏個展
2012年2月11日(土)~22(水)藤崎孝敏展
2013年1月5日(土)~16(水)藤崎孝敏展
2014年1月6日(月)〜22日(水)藤崎孝敏展